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☆ オバチャマは市民ライター
                                   オバチャマ
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☆  (26) NHKスペシャル「レイテ決戦」を見て
                     
 
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オリンピック中継に割って入って、この戦争ドキュメンタリーは放映された。もし、教育テレビだったら、オバチャマはこの番組を見ることはなかったと思う。

フィリピン、レイテ島。日本が占領し、大国アメリカに死闘を挑んだ第二次世界大戦最後の砦。「生存者が語る地獄絵・果てなき消耗戦・日本兵の97%が戦没・バンザイ突撃と極限の飢餓・脳裏を離れぬ戦場」日経新聞夕刊のテレビ欄には、そんな副題が並んでいる。当時のフィルムと史実、公平を期すための多方面への取材、元米兵・島民・日本軍帰還兵の証言。できる限り客観的に事実を伝えたいという製作者の姿勢と熱意が感じられた。

「レイテのことは誰にも話したことが無い」80代、90代の老帰還兵たちは、苦しさを滲ませながらはじめは言葉少なに、それから饒舌に語った。

  • 密林のなかを行進していると、前を歩く戦友の肩から骨がみえ白い蛆がかたまってぽろぽろ落ちた。倒れたままの仲間の合羽をめくると、口を開けて餓死していた。(歩兵)
  • 自決できないほど弱った兵士には、多量に麻酔薬を注射して殺した。(衛生兵)
  • うちの大隊長が、過酷な死闘に撤退を上官に進言した。結果、大隊長はひとりで敵中に突撃。2発銃声がした。すぐ代理の大隊長が来て突撃は決行され、みな死んだ。(歩兵)
  • 武器も食料も水も底をつき、上官のための食料略奪を命じられ島民の家を襲った。(歩兵)
  • 情報が漏れるから島民を殺せと命令され、フィリピン人を殺した。今も夢にでる。(歩兵)
  • あの戦争で何もかも失った。戦ったわけでもないのに巻き込まれた。(レイテの老女)

アメリカ人は、日本人の居る村や町を徹底攻撃した。フィリピン人の住民にも爆弾を落として焼き尽くし、島民1万人が犠牲になった。銃剣しか持たない日本兵たちが穴の中にかたまって隠れていると、アメリカ兵は次々に、穴ごと火炎放射器で焼き殺した。焼死体の山。アメリカ軍は、日本軍に迫害された島民たちに武器を渡してゲリラに仕立て上げ、衰弱した日本兵を襲わせた。

本土の大本営は悲惨な現状を知らない。山下司令官は戦いを中止するように進言したが、首相は4万人(8万人だったが半分戦死)の敗残兵に、決戦の継続を命じた。死を覚悟の突撃肉弾戦。爆弾が無いから銃剣を持って、バンザイと叫びながら切り込み死んでいった。

二ヶ月の死闘のあと1944年12月10日、レイテから退却しセブ島へ渡って再起を計るようにと大本営は命じた。飢えに苦しむ兵士達に過酷な行程。武器も食料も供給されず、自決用のたったひとつの手榴弾を手に行進、「天皇ばんざい」と言って多くの兵隊が自殺した。敗残兵たちが港に辿り着くと、そこにはたった4隻の小型船がまっていた。セブ島に着けたのは900人。あとの1万5千人はレイテに取残された。

敗北が決定的になったあとも永久抗戦の命令が下され、結局8万人の兵士(97%)が戦死した。わずか3%の生存者も64年を経て80代、90代。「戦友のことばかり考えている。殺した夢を見る。今も死体の夢にうなされる。」あまりに生々しい記憶がいまも苦しめる。生きて帰ったことの後ろめたさも。忘れることのできない凄惨な戦い。とつとつと語る証言は、強い力で聞く者に迫ってきた。

平和の祭典オリンピックと、同時に放映された戦争ドキュメンタリー。8月15日、今日は終戦記念日だった。戦争はいまも続いている。イラク、イラン、アフガニスタンで、チベットでグルジアで・・・・・・。オバチャマは、再開されたオリンピック中継を見るのをやめ、この証言を書きとめた。忘れることのないように。

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