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★          市民ライター通信
☆ 2010.6.20
--------------- http://f-ts.bb4u.ne.jp/~writer/  ★ 第81号★☆★
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■まいど おおきに!■
 今年もほぼ折り返し地点に来ています。ほんとうに時間はあっという間に経ってしまいます。そしてこの1年で何ができたのだろうかと年末になると焦りと反省ばかりですが、書けば残ります。自分の考えてきたことや変化を確認するためにも、今からでも書いてみませんか。ご投稿もおまちしています。


///////////////////■□■ も く じ ■□■////////////////////

【1】みどりを友だちに! (11)
    あじさい・紫陽花   …………………………………… かざりえみこ
【2】自分史「大阪ベイエリア」(19) 大正区編 
    自動車運転免許の取得 ………………………………… トミ〜さん
【3】チョットかがく(19)
    ヨーグルトとチーズ   ………………………………………… OHE
【4】福祉教育語りの会
    いろんな人との出会いが楽しい  ……………………… 鈴木 昭二
【5】爺婆(MTFトランスジェンダー)のつぶやき(8)  …………… 有明弥
【6】問う病記:「悪友・岩ちゃんとの経緯」(6)   ……………… G・フレンド
【7】からだを散歩すると(1)
    腰  ……………………………………………………… 竹藪 耶桁
【8】イベントのお知らせ
    第1回多文化カフェ 「〜チャイを飲みながら〜
      日本とインド2つの国で生きる女性と語る多文化・異文化」
【9】編集後記


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□                          ☆彡
■【1】みどりを友だちに! (11) ☆彡
□                    ★彡   
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           ◆ あじさい・紫陽花 ◆
                                      かざりえみこ

ひどい吹き降りの中、傘を傾けて歩いているのに、ひょっこり紫陽花が視野にとびこんできました。ああ、きれいー。思わず声が出ました。青の濃淡や紫。大きな花は水滴を含んで傾き、ガクアジサイは雨なんか平気。それぞれの格好で雨に打たれていました。

紫陽花という漢字は、「長恨歌」で有名な唐の時代の詩人白居易(白楽天)が、ライラックと思われる花に名付けたのですが、日本では平安時代に源順(みなもとのしたごう)は、古くからあった「あぢさひ」という花にこの「紫陽花」を当てはめて、はやらせてしまったようです。それ以来、現在にいたり、ご存知のように漢字テストの高出題率を誇っている次第です。

奈良の都ができて1300年。奈良は観光客で大いににぎわっているようですが、大仏を造った(造らせた?)聖武天皇の皇后光明子の異父兄・橘諸兄(たちばなのもろえ)が、この紫陽花を万葉集に一首を載せています。他に大伴家持の一首があるだけで、それ以来、古今新古今などの八大勅撰和歌集には、あじさいを詠んだ作品は見あたらないのだそうです。いったいどういうタブーがあったのでしょうね。梅雨どきには、歌を詠むような身分の人たちは室内にじっと閉じこもっていたのでしょうか?

あじさいの八重咲くごとく八つ代にをいませわが背子見つつ偲ばむ
               左大臣 橘諸兄 万葉集

すこし新しいところでは
       赤門は古し紫陽花も古き藍     山口青邨

あじさいの花言葉は日本では「移り気」ですが、フランスでは「元気な女性」だとか。この違いがおもしろい!! シーボルトはシンプルなガクアジサイを持って日本を出たのに、美しく改良されてハイドランシアと呼ばれ、今では母の日には、贈り物としてカーネーションをしのぐ売れ行きとか。白や紅、八重咲きやフリル付きと豪華な鉢植えを眺めるにつけ、こんなのを「故郷に錦を飾
る」というのかな? あじさいの出世を思います。

ところで、あじさいには猛毒の成分が含まれています。数年前に、知らずにお刺身に添えて出した料理屋で、客も、知らずに青ジソのように食べてしまって大事件になったニュースはまだなまなましく私の記憶に残っています。お料理にちょっと添えられた花や葉っぱは可愛いものですが、食べものとして見慣れないものは絶対に口には入れないように。


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■【2】自分史「大阪ベイエリア」(19) 大正区編
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         〜 自動車運転免許の取得 〜
                                         トミ〜さん

昭和45年から始まったボーリングブームも昭和47年には陰りが出てきた。テレビ放映も少なくなり、一世風靡した女子プロボーラーも茶の間のテレビから次第に姿を消した。私が勤めていたボーリング場も客足が遠のき、経営不振に陥った。大入袋が連日配られた賑わいは影をひそめ、ワンフロアで賄えるほど客が来場しなくなった。店も趣向を凝らした大会などを企画したが、一旦遠のいた客足は戻ることはなかった。ブーム衰退の理由はわからないが、最高得点が300点でプロとアマの差が少ないことも原因かもしれなかった。

客が激減し暇になれば、社員の仕事に対する意欲が低下した。その結果が機械の故障や客の苦情に現れた。たとえば、ピンが10本並ばなかったり、ボールが手元に返らなくなったりした。レーンの整備も悪くなり、ボールが客の思い通りに転がらなくなったり、ボールの汚れが服に付着したりした。私自信も仕事に対する意欲が薄れた。自分の仕事を早く終わらせ、同僚とゲームやビリヤードにうつつを抜かした。

ある日のこと、ギャンブルで大勝ちし、持ちなれない大金が入ってきた。何に使うか悩んだ挙句、自動車運転免許を取得することにした。しかし、そこには大きな障害が待っていた。私は小学校時代の色盲検査で「色弱」と認定されていた。中学時代にピンクのカッターシャツで登校したこともあった。「色弱・色盲」は職業や学校選択、免許取得などで制限を受けると聞いていたので、真剣に悩んだ時期もあったが、遺伝だから悩んでも仕方がないと割り切った。

大正区三軒家にある自動車学校で入学手続きを済ませた。眼の検査は視力と信号機の色を順番に答えるもので簡単にクリアできた。ボーリング場の仕事が夜のため、学科や実技の講習は毎日通えた。仮免許受験までの単位はすぐに取れたが、試験で二度落ち補習で時間を費やしたが、昭和47年9月に自動車運転免許証を取得した。ボーリング場は昭和47年8月21日に退職していたが、思えばボーリングブームの陰りが自動車運転免許証の取得に役立った。

ボーリング場を退職した理由は、自分なりに悩んだ末の結論であったと思う。別の会社に勤めたわけでもなく、岸和田市民病院に勤める叔母の紹介で岸和田市役所選挙事務のアルバイトをしばらく行った。アルバイトが終わり叔母の子ども(従兄)が営む電気製品販売を手伝った。この時期に軽自動車を月賦で購入し、国道26号線や大阪臨海線をよく走った。

中学校卒業と同時にガムシャラに働いた自分が、唯一"遊んだ"時代と言える。私の小・中学校の同級生に元全日本女子バレーボール監督の柳本晶一氏がいる。同級生で一番出世した人かもしれない。自分も出世したいと思ったこともあった。この時代がなければ今の自分はない。大好きな街「大阪ベイエリア」。


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■【3】チョットかがく(19)         ☆彡
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                ■ ヨーグルトとチーズ ■
                                           OHE

ヨーグルトとチーズの違いは?どちらも牛乳に含まれるタンパク質の凝固作用を利用して作られる食品だ。乳酸菌が造る酸の作用で牛乳が凝固したものをヨーグルト、乳酸菌+レンニン(タンパク質分解酵素)の力を利用して牛乳を凝固し、できあがったヨーグルト状のものから水成分を抜き取り、固めたものがチーズである。ヨーグルトとチーズは見かけも味もまったく違うが、製造原理はよく似た姉妹のような関係の食べ物である。

牛乳はその多くが水分(約87%)である。残りの固形分の内、大部分がタンパク質、脂質、糖質で、それぞれが3〜4%含まれている。カルシウム、リン、鉄分、ナトリウム、カリウムなどのミネラル類が極微量、そしてビタミン類も含まれている。タンパク質の80%程度がカゼインで、残り20%は水溶性のグロブリンやアルブミンでホエー(乳清)と呼ばれている。脂質は大部分が中性脂質で、リン脂質やステロールも微量含まれる。牛乳の糖質はほとんどが乳糖で、これはグルコースとガラクトースが結合する二糖類である。

牛乳のカゼインは単一成分ではなく、性質が違うα-カゼイン、κ-カゼイン、β-カゼインの混合物である。カゼイン分子は水に溶けないため分子同士が集まって直径が0.1ミクロン程度の微細粒子を作り、その粒子はリン酸やカルシウムが介在して互いに結合し巨大集合体のミセルを形成している。このときカゼインのうちで特に水溶性の高いκ-カゼインが巨大集合体の表面を取り巻き、集合体が互いにくっつくことを阻止し、ミセルの安定状態を保っている。

牛乳にスターターとして乳酸菌あるいは出来合いのヨーグルトを添加し、30〜40℃に保温すると、乳酸菌が増殖する。乳酸菌が生産するβ-ガラクトシダーゼという酵素が牛乳に含まれる乳糖をグルコースとガラクトースに加水分解する。攪拌をしないで乳酸菌を嫌気状態におくと、発酵作用によってグルコースは最終的に乳酸へ変化する。乳酸の増加に伴って牛乳の初期のpH6.4〜6.8は徐々に下がっていく。pHが5近くまで下がれば、酸性の条件に弱い腐敗菌は増殖できなくなり、やがて死滅する。乳酸菌はこのpHでも増殖し、やがてるpHがカゼインの等電点である4.6まで下がると、カゼインミセルはこわれ、ミセル同士の結合が進んで、牛乳は凝固し、ヨーグルトができあがる。やがて乳酸菌の生育が止まり発酵が終了する。変質しないよう冷蔵庫で保冷する。
※カゼインなどタンパク質は両性電解質と呼ばれ、溶液のpHによって酸性と塩基性のどちらかの性質を示すが、どちらの性質も示さない釣り合いが保たれる状態のpHを等電点という。タンパク質は等電点で電荷を持たず、疎水的になり、タンパク質同士が集合し、その結果タンパク質は巨大な固まりとなって凝固する。

牛乳に乳酸菌とカビをスターターを加え、乳酸発酵へ進むまではヨーグルト製造の場合とほぼ同じである。乳酸菌やカビは乳酸や有機酸を生成し、またたんぱく質を分解してそれぞれが特有の風味や香りを作る。発酵が進んだ時点で仔牛の第4胃から採取したレンネットを加えると、レンネットに含まれるタンパク分解酵素レンニンの作用でカゼインが凝固しチーズのもとになるカードが生成する。カードの水分、ホエー(乳清)を除き、型に入れて圧搾し、これを数ヶ月から1年くらい熟成すると、チーズが出来上がる。レンニンは、カゼインミセルの表層にあるκ-カゼインを特異的に分解し、その結果κ-カゼインが持つミセルの安定化機能が消失し、カゼインミセル同士がくっつき合って牛乳は凝固する。今は、レンネットの代わりに微生物学的に製造されたタンパク分解酵素や遺伝子組換えで作られたレンニンが使われている。、

ヨーグルトの成分は原料である牛乳とそれほど違いはない。カゼインは分解を受け低分子化しており、乳糖もグルコースとガラクトースに分解を受け、また発酵の過程で各種の作られる酸類が含まれている。生きた乳酸菌が含まれているのが一番の違いである。チーズはでホエーを部分的に流出する製造工程で、ホエー中に含まれる大部分の乳糖やミネラルが除かれる。しかし、チーズは続く圧搾工程で10倍程度に濃縮され、結果として水分量が減少し、保存性が格段に良くなっている。


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■【4】福祉教育語りの会 ☆彡

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             ◆ いろんな人との出会いが楽しい ◆

                             大阪市福祉教育語りの会*
                                  鈴木昭二(全盲)

「さっきはごめんなさい」と5歳ぐらいの女の子が声をかけてきた。
「いいえ、大丈夫だよ」と私はこたえる。この2分前、私が転倒したことを詫びているのだ。その出来事は以下のような事であった。

私は、小学4年生の男子の左肩につかまり、速足で手引きしてもらっていた。その時、男子が何かを避けるため左に寄ったようだ。とたんに、私の左足は幅30センチ深さ30センチあまりの溝にはまり、転倒してしまった。幸いケガはなかった。左に寄ったのは、母子連れを追い抜かすためだったのだ。

まだ、慣れていない道を一人で歩いていて、直進のところを右折していたらしく「ちょっと雰囲気がちがうなあ」と歩をゆるめながら「誰かこないかなあ」と、待ち構えていたところ、この男子小学生がスタスタ軽い足音で近付いてきた。そこで「○○小学校はこの道じゃないよな」と尋ねた。「ああそれは、あっち」と指をさす。よく尋ねてみると、私の向かう道の途中まで彼は同じコースのようだ。「△△というコンビニは知ってる?」と聞くと「そこを通って家に帰るんだ」とのこと。「じゃあコンビニまで一緒に連れてってくれないか?」と頼んだら、快く引き受けてくれた。こうして手引きしてくれた彼と、「どこ行ってたの?」「うん、友達の家」などと会話が進んだ。もうそろそろコンビニだなあと思っていたところで、さっきの転倒事故が起こった。この話を帰宅して女房に話すと、「それはあんたが悪い。『手引きされる方は自分の横幅ぐらいは杖で確認せよ』とガイドヘルパーの講習会でも必ず言ってるじゃないの」なんて、お説教をされてしまった。

週に三日、白杖で一人歩きしていると、いろいろな人との出あいがある。「今日は赤バスじゃなくて、歩きですか?」と持ち帰りフードの呼び込み店員から親しく話しかけられ、身元調査のように次々と質問攻めにあうことがあった。バスの到着を話の切れ目に別れる。彼は私の三男と同い年で、私が24歳で失明したということも彼の尋問で答えていたので「たいへんだったんですね」などと次に出会ったときに語っていた。

私は少々の危険はあろうと、こんな「出会い」を楽しみに白杖での歩きを楽しんでいる。


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*《福祉教育語りの会とは》

障害者が、小・中学校及び高校などあらゆる場所で、受障の体験を話したり、どのようにして再出発したかを《語る》ことは、「子供たちに障害の理解と《生きる力》と《思いやる心》」を育てるきっかけになると考えています。社会にはいろいろな人がいて、それぞれの存在を認め会って生きていることを知るきっかけにしてほしいと願っています。
このような「思い」から「福祉教育語りの会」は設立されました。



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◇                          彡彡☆★彡
◆【5】爺婆(MTFトランスジェンダー)のつぶやき(8)
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                              有明弥

親族へのカミングアウトをしました。手紙と今の私を撮影してのビデオレターで送りました。やり方は少し強引になってしまいましが、できたことには嬉しく思っています。これらからが問題であることは覚悟していましたが、一週間が過ぎ、10日が過ぎ、なんの返事もありません。想定はしていましたが、かなり辛い状況です。予想以上に身体に変調をきたしています。胃は痛むし、集中力は低下しています。このような経験をすることで感じるのが、自分がマイノリティであることの悲しみや悲観的な思いです。しかし、そんな辛い思いを感じていることが、今私が生きている証拠のような気がします。また、これからまだ経験したこのない事実を確認したい気持ちもあり、これからどう生きたらいいのか手探りではありますが行動しています。

今の私が心がけているのは、「私が生きる」(自分勝手な生き方)と「私を生きる」(社会の中で自分を生かす)ことの違いを見極めていきたいと思っていることです。今回のカミングアウトも、「私が生きる」ことであったなら、していませんでした。何故なら、現実をごまかし隠して生きることも可能だったからです。ある意味それの方が楽な生き方でした。でもそれを選択しなかったのは、自分がマイノリティであることを自覚し、多くの多様なマイノリティと交流して情報が入ってくることで、社会の歪みや矛盾に対して声を上げたくなったからです。でも自分が堂々と声を上げることができる状態にしたいと思い、カミングアウトしました。

今後「私を生きる」を続けるためには、こまかな気づかいかとか、他人に対して攻撃的にならないことは勿論です。また、一番しなければならないのは、カミングアウト後のフォローです、「自分がしたい」とか「しなければならない」だけでしたカミングアウトですが、周りで巻き込んだ人たちもいます。そのことはよく分かっていますが、それをしていくことが「私を生きる」になると思
っています。


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■【6】 問う病記:「悪友・岩ちゃんとの経緯」(7)
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                             G・フレンド

5月13日(木)からスタートした第5クールの化学療法の効果が、CT検査の結果、主治医によって6月9日(水)に知らされた。

前回の診察時に、「その後の治療は(検査結果次第だが)外科的なもの(つまり手術)になる可能性もある」ということだったが、「今の段階では手術(胃の全摘)は術後の効果が確実には予測できないので、現在シッカリと効いている化学療法を継続して行うほうがよいと思う」との主治医の判断により、6月23日(水)から第6クールに入ることが決った。

手術をすると、胃が無くなるわけだから、確実に食欲は落ちるし、今の段階では予後の経過の不確実性が懸念される、「Gさんには今の治療法がいちばん合っているのかも…」というようなわけで、あまり先は読めないが、とりあえず現行の治療法を継続する、ということになった。

現在、行っている3剤併用の最新化学療法は、魔法のようにがんが消失して無くなる…というようにはなかなか行かないが、確実に患部は小さくなっており大変よく効いているとのことである。ただ、抗がん剤が身体に溜まってきて投薬中はかなりシンドイ日もあり、要はクオリティ・オブ・ライフ(日常生活&人生の質)と治療効果のバランスの問題であろう。

ところで、前回も書いたとおり、家人が今、食事を野菜中心の減塩食にしてくれているのだが、がんの増殖が収まっていることについては病院の化学療法とともに家での食事療法の相乗効果があるのではないかと思っている。野菜中心食や減塩食の免疫力強化効果がどれほどあるか分からないが、たまに家人がいないときにスーパーのシャケ弁当を買って驚いたことがある。メインの塩鮭だけではなく、ほかのおかずも含めて味が濃すぎて塩分過多だと舌が感じ、全部食べられなくて残してしまったのである。

薄味の食事が続くと、物足りなくなり、時々もっと味の濃いものを食べたくなるのだが、いざ市販の弁当や外食で済ませると、「病気になる前はいつもこんな塩辛いものを食べていたのか……」と驚いてしまう。

味だけではなく、市販の弁当や外食の野菜の少なさも気になる。今は三食とも野菜中心で、これまでの人生でこんなに野菜を食べたのは初めて、というほどの摂取量である。とくに朝食は野菜中心で、脂肪の少ない自家製鶏ハムとパンを除いて、お腹がいっぱいになるほど、サラダや野菜の煮物、野菜スープ、野菜ジュースをとっている。

このような療養中心の日々の暮らしの中で、自分の過去の食生活を振り返ってみると、外食が非常に多かったうえ、飲酒量も相当なものだったので、胃がんになったのも当然だと思えてくる。肉食が多く、好物のカツ類や鶏のから揚げ、ラーメン、餃子、お好み焼きに居酒屋メニューの数々。脂肪と塩分過多で、極端に野菜が少ないうえ、それらをビールで胃の中へ流し込んでいたのである。

これでは胃がんになるのも当然だが、友人知人との数々の"宴会"が人生における豊富な喜悦と偉大な学びの宝庫だったこともまた事実である。だから、ほとんど後悔はしていないが、もう少しアルコールは控えておくべきだったかな……とは思わないでもない(苦笑)。
                             (つづく)


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■【7】からだを散歩すると (16) ☆彡
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              ■ 腰 ■
                            竹藪 耶桁

話の腰を折るな・・・。
あれもこれも言い出すと、おしゃべりな人は叱られます。
腰があっておいしい・・・。
麺類をほめる時に、こう言います。
腰砕けですねえ・・・。
 早々と表舞台から消えたあの人は・・・。
腰かけ?
いいお相手が見つかるまで働いたらいいんだもん! 
あの人は腰が低いから・・・。
 当選した理由を聞かれて、支持者の言葉。

腰を据えてマニフェストを吟味のうえ、投票に行きましょう。
アイタタタ、ほんとうに、腰はからだの要所です。


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□                  ☆彡     
■【8】イベントのお知らせ         ☆  
□                       ★彡★彡 ☆彡
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第1回多文化カフェ
「〜チャイを飲みながら〜
日本とインド2つの国で生きる女性と語る多文化・異文化」
http://www.osakavol.org/05/seminar/100627multicultural_cafe.html


多文化カフェは、外国に関わる様々なゲストを招き、参加者と語りながら、多
文化・異文化について知る場です。第1回目は、インド出身のゲストを招き、
現代インドの伝統と近代や、外国人として日本で暮らすことについて聞きます。
日曜日の昼下がり、チャイを飲みながら多文化・異文化を語り合いましょう。


[日時]2010年6月27日・日曜日・13時30分〜15時30分
[会場]大阪NPOプラザ(大阪市福島区吉野4−29−20)
http://www.osakavol.org/10/access/index.html#fukushima

[参加費]700円(手作りチャイ代含む)
[定員]20人(先着順)
[ゲスト]サリタ・ヴァーダさん
 (アジア各地を転勤し、2004年から日本に定住。インド料理店を経営した後、
  インドと日本を結ぶビジネスコンサルタントとして活躍中)

[主催]社会福祉法人 大阪ボランティア協会
    〒553-0006
大阪市福島区吉野4‐29‐20大阪NPOプラザ100号
Tel: 06-6465-8391 Fax: 06-6465-8393
多文化共生推進チーム「カクテル」 (担当:奈良)

※ゲストの詳細やお申込みは下記URLからどうぞ!
http://www.osakavol.org/05/seminar/100627multicultural_cafe.html


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★【9】 編集後記                     ★☆★
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機会があってコミュニティカフェで数回ボランティアをした。地域の高齢者がお昼を食べに来て、おしゃべりをしていく。それぞれにみなさんユニークで、話をしていても楽しい。ご本人たちも、ひとりで食べるよりおしゃべりしながら食べることがうれしいらしい。一方、近くで一人暮らしをしている叔母の様子を週4回見に行っているが、同じような話でもいいかげんにしてほしいと思うこともしばしば。高齢者から家族との会話は上手くいかなとの話を聞くこともある。本来なら家族や親族にはよりやさしい気持ちを持って話をするべきだろうに、この現状は一体どこからくるものなのだろうか。 (スー)
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