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☆★☆★
★☆★ 書く力、書く参加!
☆★
★          市民ライター通信
☆ 2008.12.20
---------------- http://f-ts.bb4u.ne.jp/~writer/  ★ 第63号★☆★
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■まいど おおきに!■
 2008年もあと10日余りとなりましたね。また1年あっという間に過ぎてし
まいました。心の痛む暗い出来事や事件の多い年でしたが、「来年こそは」
という期待するだけではなく、自分たちのこと、そして社会のこともっとみ
んなで考えていきましょう!そんなこと、是非ともあなたの言葉で投稿お願
いします。

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【1】市民ライターどんどん(45)
    「納得」するということ…
    ………(特活)市民事務局かわにし副理事長/事務局長 三井ハルコ
【2】論・RON・ロン
    GDPからGNHへ ………………………………………… thayama
【3】地球を見つめて〜なんちゃって(63) 
    甘柿とクマ …………………………………………… かざり えみこ
【4】自分史「大阪ベイエリア」(2) 大正区編 
    無花果の実 ………………………………………………  トミ〜さん
【5】チョットかがく
    新発見とマスコミ報道 ………………………………………… OHE
【6】「還暦」という生き方 
    ―坐禅・第九・NPO―(1)…………………………… 山内 庸行
【7】私のスピルチャル体験 第20回  ……………………………… 有明弥
【8】秋田弁だば まんず おもしれー 
    やざね ……………………………………………………  秋田おばこ
【9】詩
    ありのまま  ……………………………………………… 陣内 三朗
【10】イベントのお知らせ
    体験!フィールドワーク市民塾7 まちぐるみで町おこし・平野
【11】編集後記


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■                             ★彡☆彡
□【1】市民ライターどんどん (45)                 ☆彡
■  特定非営利活動法人市民事務局かわにし
□       副理事長/事務局長 三井ハルコ
■                                        ★彡
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              ◆◇「納得」するということ… ◇◆

「納得」、最近の「マイ・キーワード」の一つです。
人は、どういう時、どういう状態で「納得」するのだろうかと…。
きっかけは、自身が被害者の親となり、“納得のいく”解決、“納得のいく”示談や補償(賠償)交渉を進めようということで、「JR福知山線事故・負傷者と家族等の会」を発足させたことに始まります。

2005年4月25日、JR福知山線(宝塚線)で、未曾有の事故が起きました。まさかと思った我が子(次女)も、通学のため、その列車に乗り合わせていました。
あの年の4月に大学生となった次女が、JR福知山線(宝塚線)を使って通学することを知っていた幼馴染の親友が、大変な事故が起こっていることを電話で知らせてくれました。そして、何気なくテレビをつけて、息を呑みました。しかし、まだ他人事でした。

その後、段々不安になり、次女が、その列車に乗ったかどうか、また、事故に遭ったのかどうか、無事なのか、生存しているのかなど、時折よぎる「真っ黒な思い」につぶされそうになるのを必死に追い払いながら、携帯電話をかけ続け、携帯メールを送り続け、ただただウロウロと歩き回り、そして祈り続けていました。

最後に病院からの電話で、事故に遭っていたことが判明するまでのあの3時間は、私にとって二度と味わいたくない時間です。
心臓がむき出しで、剣山のようなものでガリガリ掻き毟られているような、そんな状態でした。
今でも、少しでも次女と連絡が取れないようなことがあると、
私の中での「トラウマ」となって、あの時の苦しさが甦ります。
※この時の思いや記録については、神戸新聞総合出版センター発行 「JR福知山線脱線事故・2005年4月25日の記憶〜あの日を忘れない〜」の中で、29名分の手記として、次女の手記とともに詳細に書きましたので、もしも折がありお読みいただければ幸いです。

次女は、もっとも激しく損傷した2両目の車両前方から、まさしく九死に一生を得て、奇跡的に助け出されました。一般的な怪我としては重傷の部類ですが、あの事故での怪我では、「軽傷」なのかもしれません。
しかし、ほんの数十センチ、立っていたか座っていたかで、運命が分かれました。あの苦しみのあと、「生きた、暖かい」子どもと出会えるか否か、あの苦しみのあと、さらにもっと突き放されるかのような「絶望」と向かい合うこと、今でも想像しただけで涙が溢れます…。

その後、搬送先の病院で別の被害者の家族と話をする機会があり、当事者同士で話ができること、相談できることが、どれほど安心で心強くなれるかの経験から、「からだ」「こころ」に怪我を負った被害者とその家族等の支援の活動に取り組むことにしました。
2005年5月17日からは、まずは、何でも聞け、各専門機関へもつなぐことのできる「総合情報相談窓口」を開設。電話相談を始めました。
2005年6月12日からは、月に1回ぐらいのペースで、当事者同士が安心して話せる場、「語りあい、分かちあいのつどい」を開催。両取り組みとも、現在も継続しています。

事故後の次女の様子を見守り続け、また、このような活動をし続ける中で、一番初めに書いたこと、「納得すること」が、キーワードに浮かび上がってきます。何か大きな「害」を被った時、「受身:〜された」という被害者意識が起こるのは当然だと思います。
しかし、「受身:〜された」という被害者意識で物事を捉え続けるのと、被害者として「主体的」に関わっていくのとでは、根本的な違いがあると考えます。もちろん人として、苦しみの中での「こころ」の変遷はあると思います。が、受動的な被害者であり続けることは、ネガティブスパイラルに陥ってしまうのではないか…。
どこかで、ポジティブスパイラルになるきっかけが必要、あるいは、自ら変えていく必要があるのではないか…。そのきっかけや臨界点が、「納得」ではないかと…。

岩波国語辞典によると、「納得」とは「他人の考え・行為を理解し、もっともだと認めること」とあります。私は、対象は他人だけでなく、自らの中でせめぎあう二つのものに「折りあい」をつけられた時も、「納得」した状態ではないかと思っています。前へ向いて、他者とのかかわりの中でも、自分自身の中でも、充分に「やるべきこと」、「できること」をやり切ったと思えた時に、「よし!」と納得できるのかもしれません。

私の本来の仕事は、小さいながらも会社を作ったようなNPO法人(「中間支援」とよばれるジャンル)で、人と人、人と組織などをつないで、コーディネートしたり、さまざまな側面からサポートをしたりすることです。日日の生活の中でも、仕事の面でも、一つひとつ「納得」を積み重ねながら、与えられた命、いただいた「タラント」※を大切に味のある深い生き方をしていきたいと思っています。

※聖書「タラントのたとえ」から


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□                          ★彡
■【2】 論・RON・ロン ☆彡
□                 ★彡☆★             
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             ■ GDPからGNHへ ■
                                          by thayama

本年9月15日のリーマン・ショック以降、大きなパラダイム(思考の枠組み)転換が進行しつつあるように思う。米国の名門証券会社&投資銀行「リーマン・ブラザーズ」が事実上破綻したことによって世界経済が受けた衝撃はまるで全盛期のマイク・タイソンのボディブローだった。これ以降、金融至上主義的な傾向を持った英米を中心とするグローバルな資本主義市場経済が一気に冷え込んだ。これから先10年間ぐらい、90年代の日本における“失われた十年”と同様の不景気が世界中に蔓延するのでは……という観測を口にする人さえいる。

パラダイム転換という限り、新旧二つのパラダイムを想定する必要がある。古いパラダイムは、大量生産・大量消費・大量廃棄のグローバルな経済成長主義であろう。不景気を最大の敵とし、それに打ち勝つためには環境破壊だって、福祉の切捨てだって省みず、時には戦争さえ平気で企てる。また、常に経済的拡大を目指し、少しでもGDP(Gross National Products=国内総生産)の数字が下がると大騒ぎをする。このパラダイムは、もはや完全に破綻したと考えてよいのではないか。永遠の拡大再生産なんてありえないのだから。

国連の人口予測では、2050年の世界人口は91億人。22世紀に入ると100億人を超えているかもしれないが、100億人を養うためにさらなる拡大再生産を続けていくことが可能なのだろうか。とてもじゃないが、そんなことは出来ないだろう。だって、100億人の次は200億、300億と際限なく世界の人口増加と経済成長が続くと考えるのは非現実的であろう。

さて、それでは、新しいパラダイムとはどのようなものなのだろう。そこで登場するのが、GDPに対するGNH(Gross National Happiness)、すなわち「国民総幸福度」という指標である。一国の実力や進歩の度合いを「生産」という経済的指標だけでなく、国民の「幸福度」で測ろうというものである。これは、1976年の第5回非同盟諸国会議の際の、ブータンのワンチュク国王(当時21歳)の発言、「GNHはGNPよりもより大切です」がもとになっている。

1960年代から70年代初頭にかけて、ブータンでは先進国の経験やモデルを研究したが、その結果は芳しいものではなく、「経済発展は南北対立や貧困問題、環境破壊、文化の喪失につながり、必ずしも幸せになるとは限らない」との結論に達した。そこで、GNP拡大政策を採るのではなく、国民の幸福を追求する政策を進め、GNHという新しい指標を前面に打ち出す。このコンセプトのもとで、ブータンでは、1)経済成長と開発、2)文化遺産の保護と伝統文化の継承・振興、3)豊かな自然環境の保全と持続可能な利用、4)よき統治 ―― の4つを柱として開発を進めることにした。また、1999年にはブータン研究センターが設立され、まずは国内で通用する指標をめざして、幸福という概念を9つの要素に分けて検討しているという。それらは、(1)基本的な生活レベル(living standard)(2)文化の多様性(cultural diversity)、(3)感情の豊かさ(emotional well being)、(4)健康(health)、(5)教育(education)、(6)時間の使い方(time use)、(7)自然環境(eco-system)、(8)地域コミュニティの活力(community vitality)、(9)良い統治(good governance)(順不同)。

GDPではこれらの指標は無視されており、ひたすら経済生産性のみが重視されている。誰が考えても、「それってヘン」と思うのではないか。GDPを指標にすると、ブータンは豊かな国ではない。しかし、人びとは日々の糧には困らないし、ましてやホームレスの国民はいない。

「あなたは幸せですか?」と訊くと、90%を超える国民が「幸せです」と答える。日本とブータン、はたしてどちらが幸せな国なのだろうか……。


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□                          ☆彡
■【3】 地球を見つめて〜なんちゃって(63)    ☆彡
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                  ◆ 甘柿とクマ ◆
                              
                                        かざりえみこ
                         
          
今年は夏が暑く長かったので柿が総じて糖度が高く、実も大きいらしい。確かに柿がおいしかった。くだもの党を自認する私にとって、柿はまだ店先にたくさん並んでいるから、おいしかったと言うよりも「おいしい」といいたい。

11月末に香川県の友人から3Lという富有柿をいただいた。味、形、色ともあまりにみごとなので、秋田の知人宛に数個を荷物の中に入れて送った。すぐに返事が来て「こんなにおいしくて赤くて大きい柿を初めて見た。雪国ではこんな柿はありえない」と手放しでほめていた。彼女の家には柿の木が数本あるが全て渋柿。最近では渋抜きの手間がめんどうで、珍しい間はアルコールで「さわして」食べるけれど、ほとんどは枝で鳥のえさになるそうだ。秋田県では甘柿がない。甘柿の北限は栃木県小山市あたり、柿の栽培北限は山形県北部と言われている。山形の柿は平核無(ひらたねなし)という品種で、これは収穫後にアルコールで渋抜きをする。

この秋、滋賀県湖西の柿の産地では山からクマが出没して大切な柿が荒らされたという。クマが恐くて犬の散歩も大変だったらしい。クマのニュースは、山形からも発信されている。10月28日付け河北新報によると、渋柿にはさすがのクマも近寄らないのだが、近年、名産・平核無柿の粒選りに、秋になるとアルコール入りのポリ袋をかぶせて樹上甘柿を作っているとか。ところが、昨年、クマは味を覚えてしまった。1本の木に渋と甘が混在しているのだが、渋柿には目もくれず、ポリ袋を破っては300個の甘柿全てを食べ尽くしたのだ。クマ撃退の決定打というのはないために、今年、柿農家は、ひたすら警戒につとめたそうだ。

私が子どものころには、取り残した渋柿は霜や雪にあたって、やわらかく甘くなるものだった。それぞれの木に食べ頃があって、早くやわらかくなる木もあれば、雪が降ってもまだ渋い柿があった。そんな柿は、はやばやと収穫して干し柿にするのだが、子どもはこれが気になる。まだか、まだかとひとつ内緒で味を見る。また数日してこっそりちぎる。親に見つかれば決まって叱られたも
のだ。昭和20〜30年代のことだった。

この秋、近畿の農村地帯で鈴なりの柿の木をたくさん見た。あれは人間に見放された証拠だ。人間もクマと同じで、一度「ラク」と「おいしい味」とを覚えたら、わざわざ渋柿に手間ひまを掛けたくない。そういうことで、初冬になっても柿の木が目につくことになる。  


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■【4】自分史「大阪ベイエリア」(2) 大正区編
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                 〜無花果の実〜

                                          トミ〜さん

大正区は私のふるさとである。自分史はこの街から始まる。大正区は明治の初め大阪府西成郡に属し、明治30年4月、大阪市に編入し大阪市西区となる。大正14年4月、西区から分区して港区の一部に、その後、昭和7年10月1日に港区から独立して大正区が誕生した。今年は区制施行75周年にあたる。当初は区名を「新港区」とする予定だったが、区民の多くが「大正橋区」を望んだが、呼びやすさで「大正区」と名づけられた。人口の推移は、明治9年4,078人、昭和7年110,500人、平成20年11月1日現在の人口推計では71,470人となっている。

大正橋は大正4年、市電の開通にあわせて建設された。当時は国内最大のアーチ橋であった。現在の橋は、昭和49年に架けられた二代目であり、下流側の高欄にベートーベンの交響曲第九番の「喜びの歌」の楽譜がデザインされている。ベイエリアには「昭和橋」が西区の木津川に架けられている。「明治橋」も昭和31年まで西区の旧立売堀川に架けられていた。大阪はその昔、浪華八百八橋と呼ばれたぐらい橋の多い町であった。一時は1,500橋を数えたが、平成18年4月現在では763橋(大阪市管理橋梁認定)まで減少している。

「平尾町」から「小林町」に移り住んだ年は定かでないが、「小林斎場」の隣にも住んでいた。玄関を出ると斎場の塀があった。子どもなりに塀を乗り越え、無花果の実をよく取りに行ったものだ。ついでといっては何だが、人骨もよく見た。大阪市立の斎場は市内で5箇所ある。小林斎場は、大正2年6月に開設され、昭和54年5月に現在の炉が建て替えられた。因みに火葬料は、10歳以上で一体1万円である。昔住んでいた場所は「大正やすらぎ会館」が建っている。「小林斎場」は今も“おくりびと”により、人生最後の儀式が営まれている。

小林の地名は「小林新田」開発者岡島嘉平次の居住地「千林村」から付けられた。「大正運河」が存在した昭和の一時期は、木材街として繁栄した。この時代がなければ今の自分はない。大好きな水郷の街「大阪ベイエリア」。


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■【5】チョットかがく (1)      ☆彡
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           ■ 新発見とマスコミ報道 ■
                                            OHE

毎日新聞社会面に3段抜きで「小4 新種化石発見」の見出しで、大阪府阪南市の小学校4年生の熊谷菜津美ちゃんが和歌山県湯浅町栖原の地層から、白亜紀前期(約1億3000万年前)のものとみられる新種のエビの化石を発見し、この子の名前にちなみ、学名が「ホプロパリア・ナツミアエ」と付けられたことが報じられれた。

この記事を読んで、学生時代に長崎県の五島列島南南西約60kmに浮かぶ男女群島へ調査に行った1964年当時の記憶がよみがえる。その男島で見かけない小型のヘビに遭遇した。標本にして持ち帰り、は虫類図鑑で調べた。同種のヘビは記述されていないと感じつつ、何の疑問もなしにその後の追求をしないでいた。その2〜3年後、九州の大学が行った群島の学術調査で、「新種のヘビ(1986年にダンジョヒバカリと命名される)発見」と大々的に報じられた。その記事で、自分の力のなさにガッカリし、よくよく考え、ことの次第を自分なりに納得するよりしょうがなかった。

いわゆる博物学における新種の発見は運だけではなしえない。私はクラブ活動で当時それほど注目されていない無人島を探検し、新種のヘビに遭遇した。菜津美ちゃんは博物館が企画した発掘イベントに参加。拾い上げた石にエビの化石が含まれていた。ここまでは両者にそれほどの違いがない。その時点ではどちらも新種発見など夢にも考えていない。しかし、菜津美ちゃんは新種発見者になり、私は笑談のネタにしかならなかった違いはこの先にある。

新品種を採取しても、それを証明しなければ新種にはならない。それには採取品が既存のものと異なっていることを証明するための知識と研究手段が要求される。さらに研究結果を専門誌に発表しなければならない。発表は通常英語で記述する。記述した論文の公開をもって新種が世間に認められる。

菜津美ちゃんの場合は、博物館学芸員の小原正顕が指導者としてバックで注意を払っており、他の研究者も加えて専門家の立場からこの化石について精力的に研究し、最終的に論文を発表した。その結果、菜津美ちゃんは新種の化石発見者となった。一方、私の場合は、専門家にも相談せず、中途半端で投げ出した事が差に表れた。しかし「ダンジョヒバカリ」は発見後、論文発表までに20年余りの歳月が費やされている。おそらく、新種の証明が困難であったと想像がつく。

この博物館では発掘イベントをたびたび開催しているようであるが、今年の5月にも小学生による「白亜紀前期のネズミザメ類の歯の化石の発見」がマスコミ報道されている。一般にこの種の研究は世間の注目を浴びない。専門家が自ら採取し、新種と認定されても、よほどのものでない限り新聞等の報道で取り上げられることはない。それが小学生などアマチュアが発見に関係し、そこにドラマがあれば多くのメディアが大きく取り上げる傾向がある。この博物館は上手にそのような機会をとらえ、博物館の広報活動をしていることが伺える。現在、博物館を含めた公設研究機関は本来の地道な研究成果よりも、マスコミへの露出の程度で評価される傾向にあり、その対応で苦慮している機関も多くある。これは、公設研究機関のみならず、大学についても言える。このことが本来の研究の阻害にならないことを願うのみである。

(男女群島は自然を維持する数少ない地域として全島が国指定の天然記念物となっている。今では、動物の捕獲や植物の採集はもとより、島への上陸も簡単にはできない。もちろんダンジョヒバカリに出会うことは不可能である。)


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□                                   ☆彡
■【6】「還暦」という生き方 (1)                    ★彡
□        ―坐禅・第九・NPO―          ☆
■                         ★彡   
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                                        山内 庸行

今数多くの団塊の世代が続々と還暦を迎えている。それにしても「還暦」とは一体われわれの人生においてどんな意味があるのだろうか?

私は6年前に還暦を迎えた。その時、人生50年の時代には、還暦の“還”は、「土に還る」の還であり、還暦後の人生は余生であったとしても、人生80年の今は、還暦とは、「新たな命によみ“還”る(蘇る)」新たな生き方でなければならないと思い、“三楽”という目標を立てた。それは「自分を楽しませる」「人を楽しませる」「家内を楽しませる」という三つの楽である。更に“3つの楽”には、それぞれ「釈迦に出会う」「まだ生まれていない人を楽しませる」「日曜日を贈る」という副題を付けてみた。

「自分を楽しませる―釈迦に出会う―」の分野では、定年後、手作りビール・第九合唱・河内音頭・ゴズペルなど興が赴くまま色々取り組んできたが、坐禅には、学生時代からそれなりの付き合いを続け、還暦後は、毎日の早朝坐禅をベースに、毎年何度か安泰寺などの専門道場での坐禅会への参加に努めてきた(この12月も、7日間連続108回の坐禅に取り組んだ)。私は、坐禅とは釈迦・達磨の悟りの追体験の行為と理解しているが、釈迦・達磨に出会えるような本物の坐禅がしたいというのが、私の人生の最大の願望である。

「人を楽しませる―まだ生まれていない人を楽しませる―」の分野では、保護司・町会長などの地縁型活動、10指に余るテーマ型活動、地元のNPO支援センターの運営委員、役所の各種審議会・委員会への公募市民としての参加などこれまた手当たり次第に取り組んでいる。縦割りの市民活動を自分で繋いでいくことが一つの狙いであるが、最大の狙いは、単に目の前の課題解決にとどまることなく、その問題を生み出している社会のシステムや制度の改革ということであり、そのことで、10年先20年先に生まれてくる人々を楽しませることができるはずだと私は考えている。

「妻を楽しませる―日曜日を贈る―」とは、死ぬまで定年のない専業主婦の妻に、せめて月に数度は、家事から完全にフリーな日を贈りたいということである。

坐禅・第九・NPOなどダボハゼ的に種々雑多な活動に取り組んでいるため「山内さんは一体何がしたいの?」と呆れ顔で聞かれることがある。みなさんは昔幾何の問題を解いていて補助線が発見できた喜びを覚えていないだろうか?「坐禅」「第九」「NPO」が、補助線一つで一つにつながることを最近私は気づいた。
                                 (つづく)


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★                         ☆彡             ★彡
☆【7】私のスピリチュアル体験 第20回       ☆彡  ★彡
★                                      ☆★☆★彡
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                                            有明弥

ホルモン治療を行いだして約三ヶ月たちます。自分にどんな変化があったのか、何を感じているのか、書いてみたいと思います。

自分の中で男でいることがいやになり、女になりたいと思い、数年試行錯誤しながら生きてきました。そして、今年の夏に女性ホルモンを自分の身体に入れることにしました。其の事には悔いなく、いやむしろ喜んでいます。時期がよかったと思っています。私が、本当に男と決別して生きていく為のプロセスがあったように思います。一番乗り越えなければいけなかったのは、自分の中にある自分は男ではなく、女として認めてほしい感情でした。この感情の行き過ぎが、自分自身を辛くし、疲れさせていたように感じます。

例えば、ある女性に対して、特別な感情を抱いている自分を発見しました。私は女性としてその人を好きになっていたと思います。でもその人にとっては、私は女性ではなかったのです。その人はこんな言葉をくれました。「あなたはあなたでしょう。でも、今のあなたはただの変な男性にしか見えない」。その時の自分の状況を振り返ってみると、あまりにも「自分は女だ。でも女性を好きになってもいいんだ」とまるで念仏でもとなえるかのように、自分に言い聞かせていたように思います。この時は自分を見失い、その人のことより「私は女性を愛してもいいはずだといった感じでした。

今は自分の中では、女だと思って生きています。周りがどう反応しようが、特別に侵害されないところで、「私は私」と思って生きています。いつか周りも「今のあなたが一番あなたらしい」と思ってくれると信じています。

ホルモン治療を始め、身体の変化(胸が少し膨らんできました)もあります。しかし、「私は私」でしかなく、それ以外にはなれないことを改めて実感できています。そんなことに気づくことができて、嬉しく思っています。恋愛については、こんな私を改めて女性として認めてくれるひとなら、男女は問いません。今は一人暮らしを「寂しい」といいながらも、楽しんで生活をしています。


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■【8】「秋田弁だば まんず おもしれー」(秋田おばこ編) ☆彡
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              ■ やざね ■
                             
                              秋田おばこ

なんただ?  やざね。
これを、標準語化するえば どうですか?  もうだめですね。
になります。

この秋田弁のコーナーも今回をもって、あとはやざね。
長らくのご愛読、ありがとさんだね。
次号からは、模様替えして新装開店します。
乞う、ご期待!  



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□             ☆彡☆彡
■【9】詩                ◆彡◇彡
□                          ◆彡★彡
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    ■ ありのまま ■

                  陣内 三朗


飾ることに疲れたら
ありのままの自分を曝け出して
楽になろうよ

飾らなくても
自分自身でいることが自然で

思っていたより
ありのままの自分でいることに
心地よさを感じ
自分の良さにも
気づけるかもしれないよ



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□                  ☆彡     
■【10】イベントのお知らせ         ☆  
□                       ★彡★彡 ☆彡
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■ 体験!フィールドワーク市民塾7
   まちぐるみで町おこし・平野

〜自分たちの手で守りぬいた平野郷と豊かな文化を体感する〜
 平野郷は、戦国時代に堺と並び自治都市として栄え、まちを守るために周囲に濠(ほり)と提を築きました。また、文化的にも先進地域で、庶民が日本で最初につくった学校・含翠堂(がんすいどう)が建てられたり、平野連歌などの活動も盛んに行われました。今も、杭全(くまた)神社夏祭には地車(だんじり)が曳かれているのをはじめ、様々な伝統行事など、地域文化が継承されています。

 自治の伝統は、「町ぐるみ博物館」、大阪市と地域住民とが協力して歴史的景観の保全などを行う「平野郷HOPEゾーン計画」事業など、住民の様々なまちづくり活動で活かされています。

 前半は、住民自身が楽しみながら自分たちのまちを知るためにはじまった「町ぐるみ博物館」にまつわるお話を伺います。後半は、環濠都市(かんごうとし)の跡を辿り、地域の歴史に触れます。

日時 2009年1月25日(日)  9時50分〜16時30分
集合: 全興寺(せんこうじ) おも路地(ろじ)(大阪市平野区平野本町4-12-21)
「おも路地」は西門側にあります。西門前で「おも路地」への案内をします。
最寄り駅:大阪地下鉄谷町線「平野」、JR大和路線「平野」。徒歩約13分。

講師・案内 <午前・レクチャー>川口 良仁さん
(全興寺・住職/平野の町づくりを考える会事務局)
● プロフィール
大阪平野に生まれ。現在、真言宗全興寺(せんこうじ)住職。1980年、南海平野線の廃線に伴う平野駅舎保存運動をきっかけに、有志と共に「平野の町づくりを考える会」を結成。発足以来事務局を担当する。

<午後・フィールドワーク>粕谷 高士さん
●プロフィール
1936年大阪市平野生れ、生地在住。会社退職・大阪歴史博物館開館とともに5年半同館ボランティア経験。諸グループ・地域交流、窮々自適の年金生活。趣味;謡(観世流)、クラシック音楽・古典芸能鑑賞、建築物・街並スケッチなど。

参加費 1000円 (昼食代含まず)※当日お支払いください。

持ち物など 筆記用具、傘(原則雨天決行)
まち歩きがしやすい靴・服装でお越しください。
昼食をとっていただく場所がありますので、お弁当持参も可能です。
申込方法 参加申込みは、「体験!フィールドワーク市民塾7」
申込みフォーム(下記URL)よりお申し込みください。
http://www.osakavol.org/subscr/090125shiminjuku7_sub.html

※お申込いただいて1週間以内に受付連絡をいたします。連絡がない場合は、お手数ですが下記まで確認のお電話をお願いします。
※やむを得ない事情でキャンセルされる場合は、速やかに主催者までご連絡ください。
申込締切 2009年1月17日(土)(定員30名、先着順)
※定員に余裕のある場合は、締切日以降でも受付けますので、お問い合わせください。
主催 (福)大阪ボランティア協会 担当:塚本
〒553-0006 大阪市福島区吉野4-29-20大阪NPOプラザ100号
電話:06-6465-8391、ファックス:06-6465-8393 Eメール:npo@osakavol.org

※平成20年度大阪市生涯学習ネットワーク事業

プログラム
9:50 受付
10:00〜12:00 講義「平野のまちづくり」(川口良仁さん)
12:00〜14:00 昼食(近くの町ぐるみ博物館、全興寺の自由見学を含む)
14:00〜14:30 フィールドワーク前講義「平野の歴史と特色」(粕谷高士さん)
14:30〜16:00 フィールドワーク(環濠跡、杭全神社など見学)
16:00〜16:30 杭全神社にてふりかえり

※当日の事務局(大阪ボランティア協会)連絡先
 06−6465−8391(事務所より現地スタッフに連絡されます)


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★【11】 編集後記                     ★☆★
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先日のNHKスペシャルで非正規雇用者の現状を取りあげていた。番組の最後のある出演者のコメントがとても印象に残った。スエーデンの社会サービス・福祉は、「オムソーリ」というそうだが、社会サービスという言葉そのものではなく、「悲しみを分かち合うこと」という意味だそうだ。様々な状況に置かれた人々の悲しみに対して、自分が負担をすることによって、自分は他者から必要な存在だと認識することが重要だということらしい。オムソーリには、当然教育も含まれるため、社会全体に対する哲学を感る。(スー)

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