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市民ライターどんどん
地球を見つめて〜なんちゃって
  ……かざりえみこ
コラム ★ライターズ・バトル★
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  《ライター各様書き比べ》
脱サラ議員奮闘記
 …山根一男(可児市議会議員)
関西弁だば、まんづ わがんね
  ……秋田おばこ
市民ライターのキモ
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市民ライター通信より
2冊の本が出版されました!





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★☆★ 書く力、書く参加!
☆★
★          市民ライター通信
☆ 2008.4.20
---------------- http://f-ts.bb4u.ne.jp/~writer/  ★ 第55号★☆★
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■あなたも市民ライターに!■

市民が社会に向けて情報を発信するには、書くことが不可欠です。
多くの市民活動はそこから始まっています。《書く力》を養い、
《書くことで社会参加する》市民ライターになりませんか。
                  
  ========= 市民ライターのイメージ ==========
       
* 書くことによる社会的な発信が大切だと考えている。
* 心情吐露だけに終わらず“レポート性”のある文章がかける。
* ペンが剣よりも強い世界にしたいと思っている。

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■まいど おおきに!■
 今まさに、16日からはじまった大阪造幣局の桜の通り抜けを楽しんでいる方もいらっしゃるのではないでしょうか。それにしても、今年は雨が多く、満開の桜を楽しむ期間が短く、残念でした。
 さて、「市民ライター通信」のホームページでは、好評連載中の「オバチャマは市民ライター」のこれまですべての原稿を一挙掲載しました。
http://f-ts.bb4u.ne.jp/~writer/new_ver/contents/obachama/obachama_index.html
 また、今回から新コーナー「「こんなん、いわなあかん!」」を設けました。気軽なコーナーですので、日頃ちょっと感じていることご投稿ください。


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【1】市民ライターどんどん(40)
    市民と暮らし研究所 ……………………………………… 太田 昌也
【2】地球を見つめて〜なんちゃって(55) 
     樹木や花から始まる会話  ………………………… かざり えみこ
【3】オバチャマは市民ライター (23)
     普通の子 ………………………………………………… オバチャマ
【4】「私のスピルチャル体験」 第11回  …………………………  有明弥
【5】こんなん、いわなあかん!
     あなたが儲けたら? …………………………………………… 風
【6】秋田弁だば まんず おもしれー 
    かど  ……………………………………………………  秋田おばこ
【7】俳句 ……………………………………………………………… 火古
【8】詩 …………………………………………………………… 陣内 三朗
【9】編集後記


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■                                          ★彡☆彡
□ 【1】市民ライターどんどん(39)                  ☆彡
□     市民と暮らし研究所・所長 太田 昌也
■                                    ★彡
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◆  バンド演奏と市民活動 多様な個性の共鳴を! ◆

 先日、シャプラニール(バングラディシュやネパールなどで活動するNGO)の機関紙が届けられたので、早速目を通してみた。知人の一人で、この団体に長く関わっている福澤郁文さんの「共生とは交響だ」という文章が掲載されている。
 読み進んでいくうちに、以前松山で開催されたボランティア学習の全国的な大会に参加したときのことを思い出した。白方雅博さん(松山市社協)から頼まれ、菊池修さん(えひめNPOセンター)と二人で、3時間もボランティア・市民活動についてセッションをやったのだ。

 参加者は二人の話を聞き続けるという苦痛(?)を強いられるのだからと、会場のしつらえには工夫を凝らした。客席は4人掛けのテーブルにし、真っ白なテーブルクロスを敷いた。喫茶店の雰囲気で、コーヒーや紅茶を味わいながら聞けるというわけだ。我々二人は小さな丸いテーブルを挟んで向かい合い、脚の長い丸椅子に腰掛けて語り合う。バーの止り木に座って語り合う感じだ。
 オープニングにも凝った。白方さんは地元では有名なジャズ好きで、おびただしい数のレコードやCDを持っている。もうひとつの彼の趣味である俳句では、蛇頭(ジャズ)という俳号を持っている程の入れ込みようなのだ。というわけで、お気に入りの1曲を流し、二人はそれぞれにこの演奏にコメントすることからスタートしようということになった。

 どんなコメントをしようかと直前まで迷っていたが、若い頃にアマチュアバンドでサックスを吹いていた頃のことをふと思い出した。リズムセクションはドラム、ベース、ギター、管楽器はテナーサックス、アルトサックス、トランペット、トロンボーン、それにピアノを加えた本格的な編成のビッグバンドだった。しかし、楽器の経験が無いメンバーがほとんどで、練習は週に一度だけだからなかなか上達しない。指導者も兼ねていたバンドマスターからボロクソにけなされることも度々だ。
 そんなバンドでも、たまにはメンバーの息がピッタリと合い、素晴らしい演奏になることがある。そのときの嬉しさは格別だ。思わず笑みがこぼれ、自然にお互いの演奏を称えあう拍手が沸き起こる。

 そのことを思い出して、「バンド演奏と市民活動は似ている」とコメントしたのだ。一人一人の個性は尊重されなければならないが、みんなが「俺が、俺が」と主張したのでは調和がとれない。個性が共鳴し、活かし合えてこそ良いものが生まれるのだ。これがコラボレーションの効果じゃあないのかと。
 最近、仕事はセミリタイア、市民活動も充電中なので、主夫業を中心にした生活になっている。そこでつくづく感じるのは、料理もまたこれに似ているということだ。一つ一つの素材の旨みを活かしながら、バランスのとれた味のハーモニーを生み出すことが料理づくりの秘訣である。
 市民活動の組織には個性派が多いが、それぞれの個性を活かし、共鳴することで良い活動を生み出してほしいものだ。

*この文章は、太田さんが連載されている「白虎酔論」10号を転載させていただいたものです。現在、「白虎酔論」は下記のURLに掲載されています。
http://dankaiaction.jp/pages/byakkosuiron/byakkoindex.html


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□                            ☆彡
■【2】 地球を見つめて〜なんちゃって(55)       ☆彡
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               ◆ 樹木や花から始まる会話 ◆
                                       かざりえみこ

3月から5月のはじめごろまで、私は意識的に徒歩で買い物や用事に出ます。梅、桃、レンギョウ、コブシ、モクレン、桜……。つぎつぎに樹木の花が咲き、パンジー、水仙、ムスカリ、桜草、チューリップなどの草花もあって、よその家の庭木や玄関先の植木鉢、花壇などの花見をさせてもらうのが私の楽しみなのです。そこの家の人や近所の人たちと「今年はよく咲きましたね」とか「これは珍しいですね」などと言葉を交わして顔見知りになり、花友だちになることもあります。

この春に、例年見上げていた桜がありません。立派なガレージが出来ていました。別の所では大枝が切り落とされた桜が、落ち武者の影絵のようにみすぼらしく立っていました。その家の人が「毛虫がわいてねえ、落ち葉も汚いし、ご近所から言われますねん」とつぶやきました。春は花を楽しませてもらうお返しに、秋は落ち葉を掃いてあげようと思えばいいのにと、私は寂しくなりました。

街では、電線に邪魔だ、信号が見えない、大きくなりすぎた、公園内で見通しが悪いなどの理由で年中行事のように作業着姿の人たちが樹木を切ったり、枝を落としたりします。一方では街に緑を!とスローガンがかかげられているのですが……。都市のヒートアイランド現象を抑止する効果がある樹木です。なぜ、最初からその場の目的に合う高さや枝張りで種類を選択しないのでしょう? 「豊かな緑」からはほど遠く、枝を切られて勢いを失った木を見るたびに、管轄の役所への不満が募ります。

平成17年(2005年)8月12日に国土交通省 都市・地域整備局 公園緑地課緑地環境推進室が出した『都市の緑量と心理的効果の相関関係の社会実験調査について』という論文と出会いました。
(<http://www.mlit.go.jp/kisha/kisha05/04/040812_3/01.pdf>)
要約すると、都市の緑は、うるおい感、やすらぎ感、さわやか感などの心理的効果があり、都市緑化は清涼感や、アメニティ(快適性)が高まる効果がある。また、疲労感をやわらげ、人々を引きつけ、家族や地域の交流の場となる効果があるなどとと多方面にわたって述べられています。くれぐれも机上の空論にならないようにと祈ります。

この中で「緑は人々を引きつけ、家族や地域の交流の場となる効果」に特に注目します。今こそ、木や花を前に人々が語らう『街の縁側』的な「場」がほしいものです。草木のことから始まって、都市緑化や地球の環境問題までも、知らない人も交えて雑談に花を咲かせる……!? 冒頭の花々のことから思い合わせてこの論文を読み終えました。                 


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☆                         ★彡☆彡★彡
★【3】オバチャマは市民ライター (23)           ☆★彡
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                ■ 普通の子 ■ 
                                        オバチャマ

事件がおきると、すぐにレポーターが被害者の(或いは加害者の)いた学校にとぶよね。校門に張り付いて、元同級生やクラブの部員、昔の恩師なんかを追い回してお決まりの質問。

「○○さんはどんな子でしたか」
「別に、普通の子だった」

こういう答えがよく返ってくる。「普通の子」って?目立った子ではなかった。勉強とかスポーツとかに秀でていることはなかった。人気があったわけじゃないが、うざ〜とかきも〜とか言うほどじゃなかった。どこにでもいるタイプ・・・。オバチャマは、事件が深夜の繁華街だったり、携帯サイトで知り合った(?)ばかりだったりすると、「普通の子」という報道を奇異に感じるのね。そんな行動は「普通の子」はしない、そりゃ「悪い子」でしょって。まあ、子供から大人まで携帯依存の世界が「普通」なんだから、「普通」って時代と共に変わるよね。

地域によっても違うね。例えば、転入生とか来たとするでしょ。「どんな子だった?」と聞いて、返事が「普通」なら、関東だったら普通に良いっていう肯定。関西で「普通」って言われたら、はっきり否定。別に説明するほどの価値も無いという意味だもの。「そう」で終わり。「おまえって普通だよね」なんていわれたら、関西の子は落ち込む。それは、個性の無い、つまらん人間ってことなんだから。ちなみに「変わってる」は褒め言葉、「良い子」は面白くない奴ってことで否定的なことが多い。

どうして、インタビューされると、「普通の子だった」って答えるのかな。元担任だったら、あんまり関わっていない、見てなかったからよく知らない。実は記憶に無い。まあ取り敢えず無難なところで答えておくかみたいな。対象となっている人やその家族への配慮?「覚えていない。クラスにいたかなあ」なんて恩師に言われたら確かに傷つく。保身?関わりたくない。変なことをしゃべって、あとで問題にされたらソンだ。「普通」は、曖昧だから嘘とはいえない。ことばに責任を持たなくてすむ。自分の立ち位置も、自分の思想も価値観も曖昧にできる。あとで弁明するのも簡単。とっても便利なことばだ。(皮肉)

サイトを検索していたら、こんなブログ定義があった。<http://q.hatena.ne.jp/1168143539>(はてなブログ)

良い子のブログ=あたりまえのことを、あらためて書くので、つまらない。  
悪い子のブログ=ありもしないことを、もっともらしく書くので、くだらない。
普通の子のブログ=とりとめのないことを、あれこれ書くので、まとまらない。

オバチャマのはどれにも当てはまる、ってことは、つまらなくて、くだらなくて、まとまらないって「三ない」ってこと?!それ最低じゃ〜ん!


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★                          ☆彡             ★彡
☆【4】私のスピルチャル体験 第12回     ☆彡  ★彡
★                               ☆★☆★彡
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                                          有明弥

 前回の書き足らなかったところ、そして自分の中にある不安定なところを書こうと思います。
 懇親会で隣に座った女性の「男の人に囲まれてうれしい」というなにげないことばが私には耐えられなかったことを、前回書きました。そう、何故私は我慢できなかったのか、そして我慢できない自分のことを、何故他人事にすり替えたのかです。
 
 私は「男でも女でもない」存在になることを目指しておきながら、自分自身は、まだ「男と女」の社会に生きているのです。そして、「男」扱いされたことを受け入れることができず、「自分は女だと思われたい」と何処かで思っているのです。
 ですので、なにげない一言で動揺して、自分を見失ってしまいました。そしてそのことをごまかす為に、自分を擁護しました。その結果が、「私は我慢できるが、我慢できない人もいる」という発言になってしまいました。言い終わってから、自分でも後味の悪さが残り、「ああ、やってしまった」という感じと、「何故もっと上手く言えなのか」というもどかしさが残りました。

 今回の出来事で、私は感情の起伏が激しい人間であったことを思い出しました。子供の頃、負けると分かりながらケンカを仕掛けてみたり、勉強が分からないとヒステリックにブツブツ言ったりしていました。しかし、周りからそのことはいけないからやめるように言われ、感情を押さえつけられるようになりました。そして、いつの間にか、感情は出してはいけないと勘違いしていたようです。

 何か意に反することを言われると、言い訳を考えだし、自分を守る為にごまかしてきました。「自分は何故言い訳をするのか」言い終わってから「又か」と思いつつも、その繰り返しで、最近ではすっかりその感覚が麻痺していた状況でした。
 今回の出来事は、そんな自分を見直すいい機会であったのではないかと思っています。すぐには変えられないかも、いや、すぐに変えなければと思っています。
 自分の感情を理解し、周りの環境を把握したうえで、「自分の言うべきことは言う」姿勢に改めていかなくてはと、自分に言い聞かせています。
 
 そして、あの時、私はどのように対処すればよかったのか考えてみました。

女性「男の人たちに囲まれてうれしいわ」

私「すいません。私は、これでも男と思ってないですけど。今の言葉は、私にとってはイヤな感じがしました。たぶん、私のような人と隣り合わせになるのは、初めてなのだと思いますが、色んな人がいますからね。まあ、嫌がらないでよろしくお願いします」


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■【5】<新コーナー> こんなん、いわなあかん!   ☆彡
□       ◆ あなたが儲けたら? ◆            ★彡
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                                            風

毎日まいにち、パソコンのメールを開くたびにうんざりします。大量の「迷惑メール」のせいです。ウィルス対策は今のところ万全としても、100%安全ということはないらしいですね。「迷惑メール対策ツール」というのをしっかり利用していますが、自動的に振り分けられるのは良いとして、その網をくぐり抜けてなお残る「ヤヤコシメール」(私の命名ですが!)の量と内容には驚くばかりです。

ときどき、削除作業前の迷惑メールフォルダーで、「件名」を眺めてみますと、日本語はわずかで、ほとんどは英語です。これはカモフラージュなのでしょうか? それとも、昨年、アジアのある国の若者たちとの音楽交流イベントを催す際に、先方の代表者が(不用意に?)私のアドレスを一つの会場の連絡先に公表してしまったせいでしょうか?

見出しの内容には、あきれて笑うしかないのがほとんどです。「10万円が1ヶ月で100倍に」(・・・あなたがこっそり儲けたら?)とか、「このクスリであなたの彼女を一晩眠らせない」(・・・起きてたらいっぱい本が読めるね!)とか、「あなたをリッチに見せるレプリカ時計品揃え」(・・・今のところ、3000円の時計が長持ちしてる!)とか、「ミカで〜す。昨夜はサイコーに楽しかったわね」(・・・ひとり早寝してた!)とか……。

かつて、電話セールスというのがあって、ひとつのセールストークを何十回も繰り返してアポや、注文を取るアルバイトがあると聞いたことがありました。そういえば、最近は、この手の電話は「お墓を買いませんか?」「家の外壁塗装を安くします」「下水管を格安で掃除します」などという種類になって来ています。これはもしかしたら高齢者をターゲットにしている悪徳商法かも知れません。「お墓あります」「外壁は一昨年塗りました」「下水管は去年取り替えたから」などと(ウソを交えて)会話が出来る分、まだ人間的といえるでしょう。

その点メールは一方的です。こっちが無視する分、あっちもかなり威圧的。ここ2、3ヶ月ほどですが、私のアドレスで「ヤヤコシメール」がしばしば届くようになりました。これには私も腹が立ちます。どういう技術か私の推理の範囲をを超えていますが、受信者のアドレスを送信者にしてしまえば、送信人を割り出すことは難しいでしょうね。時間とエネルギーを無駄にする困った趣味の人がいるものです。もしこのメールに返信すれば、私のアドレスにそれが届くのでしょうか? それとも、本来の送信人に届くのでしょうか? 疑問に思いながら、ばかばかしい誘いにはぜったいに乗らないことに決めています。それにしても、一日に何十と届く迷惑メールに打つ手はないものでしょうか。


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■【6】「秋田弁だば まんず おもしれー」(秋田おばこ編) ☆彡
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                ■ かど ■
                                         秋田おばこ

春になると、魚売りが大きな声でやってきました。
「かどー、かど、かどー」
子どももマネした「かど」売りの声は春の風物詩でした。
秋田の言葉で「かど」は「ニシン」のこと。
木箱で買った「かど」の腹を開いてズラリと春風に干しました。
母と祖母が包丁を握り、子どもたちは外で猫の番。
腹から出てきた卵は「かどのこ」。
口をあまり開かないで言えば「カドゥノコ」です

約40年前、大阪で迎えた初めての年末に、「カズノコ」の
色と値段に大ビックリ。
あの「かど」の魚卵のうす茶色が、どんなマジックで
スラリとした黄金色のあの値段になるのかしら? と。


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□        ☆彡     ★彡
■【7】俳句       ☆彡     ★彡            
□                         ☆彡★彡
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「春詠二十一句」           作者:火古


タイガース絶好調の春爛漫

今中は今春愁の中なりき(添書:不調の三塁手を思って)

橋下さん頑張ってるやん老女云ひ

春愁に飲む真夜中のカップ酒

カップ酒飲みつつ春を惜しむかな

春猫の何とはなしに人に似て

春の猫あまえておるなその目つき

咲く花と歩く私と飛ぶ鳥と

花見客賑やかなかれど犬淋し

あと幾度見らりょう花の満開魂

今どきの子ですね祝金いらぬと云ふ

腰痛を春鈍と名づけ三尺寢

「家の履歴書」のページ読みおり春の夜

紅茶旨しさくらを過ぎてつつじかな

春愁は「長寿地獄」なる子の未来

親ひとり子ひとり春の大川端

春愁の景色ながめて高校生

春といふ季節は嫌ひ中学生

パトカーのサイレンうざし春深夜

ユキヤナギ白さの本旨明示せり

きもの着て入学式は卒業式 (添書;子育ての一応の終息を思ひ)


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□                ☆彡     ☆彡
■【8】詩                 
□                    ☆彡★彡
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                  陣内 三朗 
 
「私を感じて」

喜びも悲しみも
苦しみも辛さも
そのままを感じていよう

私が私であることの証として
自分自身をギュッと抱きしめ
私を私のままに感じよう

それが私
そのまま素直に感じていよう
怖がらず
ただ私を私として


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★【9】 編集後記                     ★☆★
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先日読んだ田村明著「まちづくりの実践」の中に、「江戸では、『肩引き』『傘かしげ』などのルールが自然にできていた。雑踏する都会で生活するには、擦れ違った人々への互いの配慮が必要である」とあった。これらの行為は、当然に生まれてきたルールだったということであるが、このような自然な行為や暗黙のルールが、最近どうして出来なくなってしまったのだろうか? (スー)
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